適応障害になるまでの経緯

適応障害について


おはこんばんにちは!
ほゆです。


本記事では、
私がこれまでどういった経緯で
適応障害になったかを記載しています。

社会一年目 4月~5月

私は2020年3月に理系の大学院を卒業し、2020年4月晴れて社会人一年目を迎えることになりました。

そんな人生の新たなステージに立った私ですが、当時世界は新型コロナウイルス感染拡大の未曽有の事態で、そんな状況と社会人のスタートが重なるという波乱の幕開けでした。

入社前の時点で国内は感染拡大の傾向にあり、大学の卒業式は開催されなかったため、

「入社式とかどうなるんだ?なくなるのでは。。。」

と当時不安に思っていたのが懐かしいです。

案の定、入社式は開催されず、入社から二か月間はリモートによる研修というスタートになりました。

初出社・配属 6月~11月

新型コロナウイルスの感染者が全国的に減少傾向にむかったのが2020年5月頃。6月からは緊急事態宣言が解除され、6月に初出社が決まりました。

最初の二週間は研修で、初めて会う同期とグループワークなど実施し、ようやく社会人になったんだなとここで実感することができました。

二週間が経過し、研修が終了すると早速配属です。当初から希望していた部署に配属となった私は希望に満ち溢れた状態で社会人生活をスタートさせます。

配属後は、信頼できる方が教育主任であったこともあり、忙しいながら社会人を過ごしていました。

環境の劇的変化 12月~1月

配属されてから半年経過した12月から状況が変化し始めます。

12月に、大きなプロジェクトが発足しそこに配置されることになりました。このプロジェクトは教育主任の方がもとより準備を進めていたプロジェクトです。私は教育主任の方に対して全幅の信頼を寄せていたため、一緒に頑張りたい、力になりたい、早く力をつけたい、と考えていました。そこから、毎日業務に関する勉強を休日返上でやっていました。

おそらく、ここで私は焦っていたと今振り返って思います。また、教育主任に方に仕事も依存してました。(他の上司の方があまり相手してくれなかったのもありますが。。。)

年が明け、2021年1月、私を失意のどん底へ追い込む出来事が起きます。

「教育主任が3月で会社を退社する。」

これを聞いたとき、頭が真っ白になったのを今でも覚えています。なにも言葉が出てこなかったです。

詳細は書けませんが、会社に対する不満がずっとあって限界がきたといった感じですかね。。。

一週間ほど、まともに頭も働かず仕事に集中できない日がありましたが、もう決まったことは仕方ないと割り切り、その日以降もっと自分が頑張ろう!と自分を追い込むようになりました。主力の1人が抜けるということで、仕事が回らない環境になってしまっていたのも自分を追い込ん要因だとは思います。
(このあたりが適応障害のトリガーですかね)

体調不良 2月

教育主任の方が辞めるという事実を聞いてから半月くらいは頑張っていましたが、そのあたりから身体に異変が起き始めます。頭がボーっとしたり、人と話すのが億劫になったりし始めたのです。

主な症状

  • 無気力
  • 人と話す、外に出るのが億劫
  • 食欲不振
  • 吐き気
  • 睡眠障害
  • ベッドから出れない
  • 身震い
  • 更衣室で立てなくなる



そしてそのまま頑張り続け、自分を追い込み始めてから約1ヶ月経過した頃に会社へ行くのが恐怖で震えが止まらなくなり、社内のカウンセラーへ駆け込みました。

カウンセラーの方に今の状態を話しているうちに号泣してしまいました。

次の日、心療内科を紹介してもらい受診した際も涙が止まらなかったのを覚えています。受診結果、抑うつ状態にあり、環境を聞く限りは適応障害、しばらく休養が必要と診断されました。

正直、最初はその診断結果を受け入れることができませんでしたが、有給休暇を使用し二週間程度休むことを選択しました。

復帰 3月~4月

二週間休養を取ったのち多少体調はましになったので、3月中旬職場に復帰することを決めました。

今になって思いますが、この決断は焦りすぎて良くなかったと思います。迷惑はかけれない。。。という思いが強かったです。

しかし、、、

復帰したものの、環境は最悪でした。これまでは仕事をするうえで、うまくいかなことや分からないことは教育主任に相談したうえで仕事を進めていましたが、その方はもういません。

そのほかの上司に仕事の相談をしますが、

「忙しいからあとで」

と突っぱねられる日が復帰後続きます。これが心の傷口をえぐられるような気持ちとなり体調悪化につながることになります。

仕事を進めるため上司に毎日のように「お時間少しよろしいでしょうか?」と聞きに行き、「忙しいから無理」と突っぱねられる日々が続き、相談内容の概要を送ったメールすらも無視される日々が4月中旬まで続きました。

課長に相談し、その上司に相談に乗るように催促してもらいましたが、それでも一切相談の回答はなく、体調が悪化していき2月の体調不良よりも酷い体調状態になってしまいます。

ゴールデンウイークが始まり、その間休めば良くなるだろうと思っていましたが、全くそんなことはなく、逆に毎日と突然涙が出たり、何に対しても興味が持てない日が続いていました。

休職を決断 5月~

ゴールデンウイークが明けても体調が良くならず、体調の悪化が続くということで、心療内科を受診しました。そして、8月まで休職するようにという診断を受けました。この時は、2月に診断を受けた際より衝撃を受けませんでした。何よりもう私の心身は共に限界を迎えており早く休む必要があったと自分でも理解していたからだと思います。そこから約4か月休職することになります。

長々とこれまでの適応障害になるまでの経緯を語りましたが、2021年1月頃からの劇的な環境変化に耐えることができなかったなぁと感じています。

まとめ

2020年
・4~5月 在宅研修
・6~12月 配属先での仕事
2021年
・1月 教育主任が退職する事実発覚
・2月 自分を追い込み過ぎて体調不良、二週間休む
・3~4月 復帰後、上司に無視される毎日
・5月~ 体調不良が悪化。心身ともに限界を迎え休職

下記が私が適応障害になった原因と考えています。

原因

個人要因

  • 過剰に自分を追い込む責任感
  • 環境変化に対する順応力不足
  • 無視されたときのメンタルコントロール術

環境要因

  • 教育主任の方が突然の退職
  • 上司からの無視
  • 相談対応できないほど余裕のないチーム環境

9月中旬から復職予定です。この記事は自分に対してこんなことがあったと思い返すためにも書いています。

原因は違えど、私と同じように仕事が原因で体調を崩している方が多くいらっしゃると思います。そんな時は、勇気を出して休みましょう。正直、最初に病院に行くことすら抵抗があるかもしれません。

しかし、休まないと本当に死んでしまいかねません。そんなこと絶対にあってはなりません。希死念慮(死にたいと思うこと)にとらわれることは私にもありました。

「このまま死んだ方が楽では?」

と思うほど一番つらい時はありました。しかし、本来、人間はそんなことを思うようにできていないはずです。生きるために生まれてきたからです。私はまだ寛解とまではいきませんが、かなり休暇中に回復することができ、復職許可がでるにまで至りました。

この先また体調を崩す可能性はゼロではありません。それでも、前に進みたいと今は思っています。

もし、本記事を読んで一緒に頑張りたい、まだまだ不安があってダメだとか
いろいろな悩みがある方は家族でも友達でも私でもいいですし、何か思っていることを話してみてください。何か今を変えるきっかけが掴めるかもしれません。


Twitter: ⇒ https://twitter.com/hoyu_Re

世の中は辛いこともあるけど、生きていれば楽しいことにも出会えます。一緒にこのハードモード人生を楽しみましょう!そして苦しみは共有すれば薄まります。

皆さんに幸あれ。私にも幸あれ。

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